見沼代用水土地改良区とは

理事長挨拶

見沼代用水土地改良区理事長坪井 茂 見沼代用水土地改良区のホームページをご覧頂きまして、誠にありがとうございます。また、日頃より土地改良区の運営にあたり、ご支援、ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 当土地改良区は、埼玉県北東部から南東部に渡る15市2町を事業区域とし、組合員は2万人を超え、一級河川利根川を水源とする『見沼代用水』と一級河川福川を水源とする『北河原用水』の2水系、 約190㎞の長大な農業用水路を維持管理しています。

 見沼代用水は、八代将軍徳川吉宗の命により現在の和歌山県海南市出身の井澤弥惣兵衛為永翁により1728年に開削され、程なく300年を迎える歴史のある農業用水です。
 北河原用水も、1644年伊奈忠治によって開削された歴史のある農業用水です。

 見沼代用水は、昭和53年より実施された埼玉合口Ⅱ期事業(平成7年完了)により、施設の近代化、高度な水管理システムの導入により農業用水の安定供給を図るとともに、農業用水を合理化して埼玉県及び東京都の100万人を超える都市用水を生み出し供給しています。

 用水路沿いには遊歩道整備や桜の植栽等の環境整備が行われ、水辺環境と併せ四季を通じ地域の環境資源として市民に利用されています。

 また、見沼代用水は平成18年に疏水百選に認定され、令和元年9月には歴史的、技術的、社会的価値が高く評価され、世界かんがい施設遺産に登録されました。

 私達はこれからも先人の遺業に感謝し、水の恩恵を未来に伝えていかなくてはなりません。

 大変厳しい農業情勢の中ではありますが、これからも、組合員の皆様、また関係者の皆様のご意見を真摯に受け止め、組合員の皆様の要望に応えるべく努力して参りますので、更なるご指導、ご鞭撻を切にお願い申し上げます。

見沼代用水土地改良区概要

見沼代用水土地改良区の地域

本地域は埼玉県北東部より南東部に至る関東平野の一部であって、下記の15市2町に跨がる平坦な地帯です。(南北約60㎞、東西約20㎞、標高20m~4m)

15市

  • ・行田市
  • ・羽生市
  • ・加須市
  • ・鴻巣市
  • ・久喜市
  • ・桶川市
  • ・上尾市
  • ・蓮田市
  • ・白岡市
  • ・春日部市
  • ・さいたま市
  • ・越谷市
  • ・川口市
  • ・草加市
  • ・戸田市

2町

  • ・伊奈町
  • ・宮代町
見沼代用水土地改良区の目的
本土地改良区は、関係施設の適正な維持管理と農業生産に必要な用水(会の川地区は用悪水)の適正な配水管理を行い、農業生産性の向上と総生産を増大し、農業経営の安定に資する事としています。また、環境との調和に配慮しつつ、農業や農業用水が持つ多面的機能の維持発揮を図り、保全と増進を目的とします。

事務組織体制について

組織図

見沼代用水土地改良区年表

文禄3年(1594)
忍城主松平忠吉が利根川を川俣で締切、会の川は一支流になる。
寛永年間(1624~1643)
関東郡代伊奈忠治が八丁堤を築き見沼溜井(見沼)ができる。
享保10年(1725)
井澤弥惣兵衛為永翁が新田開発見分のため現地を視察する。
同11年(1726)
井澤弥惣兵衛為永翁が見沼溜井の水深を見分する。
同12年(1727)
見沼代用水の開削工事に着手する。
同13年(1728)
見沼代用水の開削工事が完成する。
同16年(1731)
見沼通船堀(閘門式運河)を開削し通船を開始する。
宝暦9年(1759)
柴山掛渡井を伏越に改造着手する。
明和4年(1767)
為永30年祭にあたり、白岡町柴山地内の常福寺に墓石を建立する。
文化14年(1817)
為永の遺徳をしのび、さいたま市地内の万年寺に墓石を建立する。
明治元年(1868)
幕府直轄の管理から、民部省土木司による管理へと変更する。
同4年(1871)
廃藩置県により埼玉県が管理する。
同13年(1880)
北埼玉、南埼玉、北足立、南足立郡長が分割管理する。
同18年(1885)
見沼代用水路水利土功会となり北足立郡長が管理する。
同20年(1887)
柴山伏越を木造から煉瓦造りに改造する。
同37年(1904)
見沼代用水路普通水利組合を結成する。
同39年(1906)
元圦(利根取水口)を木樋から煉瓦造りに改造する。
同41年(1908)
瓦葺掛渡井を木造から鉄鋼製に改造する。
同42年(1909)
見沼代用水路東縁普通水利組合を東京府に管理を移管する。
大正3年(1914)
八間堰を煉瓦造りに改造する。
昭和3年(1928)
柴山伏越を鉄筋コンクリート造りに改造する。
同6年(1931)
通船事業が廃止になる。
同10年(1935)
見沼代用水路改良事業(県営改良事業)に着手する。(1941~1946中断)
同27年(1952)
見沼代用水路土地改良区が発足する。
同30年(1955)
見沼通船堀遺構が埼玉県史跡に指定される。
同36年(1961)
県営事業で瓦葺掛渡井を伏越に改良する。
同43年(1968)
会の川用悪水路土地改良区を合併する。
同49年(1974)
黒沼笠原沼用水路土地改良区を合併する。
同54年(1979)
埼玉県合口二期事業(公団営、県営、団体営)に着手する。
同56年(1981)
北河原用水路土地改良区を合併する。
同57年(1982)
見沼通船堀が国指定史跡になる。
同58年(1983)
騎西領用水路土地改良区を合併する。
平成7年(1995)
埼玉県合口二期事業(公団営)が完成する。
平成8年(1996)
埼玉県合口二期事業(県営、団体営)が完成する。
平成17年(2005)
井澤弥惣兵衛為永翁の生誕350年を記念し、見沼自然公園に銅像が建立される
平成18年(2006)
農林水産省と疎水百選実施委員会により「疏水百選」に選ばれる。
皇太子殿下(現天皇陛下)が見沼通船堀を御視察される。
平成19年(2007)
21世紀土地改良区創造運動関東地方大賞を受賞する。
令和元年(2019)
世界かんがい施設遺産に認定・登録される。